認知症・リコード法 はじめに

はじめに

過去の失敗から学べること

このブログは認知症の回復・改善方法を真剣に探求されている、すべての方へ(そして11年前の自分へ)向けて書いています。12年前に母が若年性アルツハイマー病と診断されましたが、大量の医学論文を武器に低空飛行ながらも日常生活を維持しています。(右: 母の塗り絵 21年8月)

一方で診断当初に今の知識があれば(比較的単純なことで)母は完治していたに違いない、という確信もあり、母のさらなる改善、そして、みなさんが自分の失敗を繰り返さないための警鐘と情報を提供するためにこのブログは存在します。

アルツハイマー病は最も複雑な病気

当ブログは、アルツハイマー病をアミロイドβかタウかといった単一の分子的メカニズムが引き起こす(または治療標的とする)疾患として捉えるのではなく、加齢に伴う複数の代謝障害や基礎疾患など様々な要因が複雑に絡み合って発症する「アルツハイマー病の多因子説」を発症メカニズムとして考え、治療法を模索しています。

そう、つまり、私たちは複雑なものを単純にしてしまうのです。しかし、私たちがやりたくないのは、本質的に複雑なものを単純にできると自分を騙すことです。

さて、脳というものは、最終的には単純なルールで機能するものなのでしょうか?それとも、ただ複雑なだけなのでしょうか?

-Leonard Susskind

そして、多因子標的に基づくマルチドメイン-ライフスタイル介入という、現在、世界各国で多くの研究機関が取り組んでいる認知症予防・改善方法を主として提案していますが、そのより具体的なメソッドの多くを、世界で初めて認知症症状を逆転させたUCLA大学ブレデセン博士らによる症例報告と、その研究で用いられた治療プログラム(現リコード法)に依拠しています。

個別化医療の時代

ブレデセンプロトコルは、

参加型(医者任せ → 選択と参加)

患者の意思決定、運動・食事など主体的な治療への取り組み

個別化(一律 → カスタマイズ)

検査により病因を特定し、治療を個人に合わせて最適化

多標的(一発必中 → ショットガン)

複数の代謝メカニズムを同時に標的化する

といった精密医療、個別化医療を含んだ統合医療と呼ばれる次世代の医療であり、これらの手法のほぼすべてに基礎研究、臨床研究の裏付けや洞察が存在する主張です。

リコード法の課題

しかし、すべてではありませんが、単剤では統計的な改善を示さなかった治療研究を多剤併用の一ツールとして、または議論の段階にある神経障害のリスク要因を予防原則的な立場から回避することもあります。このことによって巷にあるテレビ健康法や、対症療法的な補完代替療法といった誤解、または自然主義的なイデオロギーに基づく通俗的な現代医療批判と同一視されることも多々あります。

「未来の医者は、薬を与えるのではなく、人間の体の手入れや食事、病気の原因や予防について患者に関心を持たせるだろう」

-トーマス・エジソン(1847-1931)

また、リコード法は非常に広大な体系であり、採用されている様々な治療法の証拠の強さは一様ではありません。中にはアーユルベーダ医学など、数千年の歴史をもつ伝統療法なども含まれています。それらは普及して20年の歴史をもつEBM主義の観点から証拠が弱いと批判されることもあります。。また、リコード法を謳い文句にする企業や医療機関係者、全員が清廉潔白か、と問われると、そう主張することには困難を感じる感情も共有しています。

「お風呂の水で赤ちゃんを捨てるな」

疑いの目をもつ方も多いので、先にこの話をさせていただきますが、ある理論の提唱に付随する怪しい要素であったり、支持者の間違った解釈など、おかしな部分に目をつけて、そのコアとなっている主張の正当性までも否定してしまうことの妥当性や損失をどう考えるかという議論があります。

※ オリジナルは「Don’t throw the baby out with the bathwater」 = 大事なものを無用なものと一緒に捨ててはいけないという英語の教訓

多くの言論には価値がなく、破壊的な言論もあることは誰もが想像できます。そのため、明らかに問題のある言論を排除するだけで、世界を改善できるのではないかと考えたくなるのは当然のことです。

問題は、明らかに道を踏み外している言論というのは、簡単に運用できるカテゴリーではないということです。往々にして存在するのは、一緒になって旅をしている変人や異端者です。この混ざり合いは不幸なものです。一般的には、本当に面白い異端のアイデア1つに対して、100人の変人が存在し、それらはおそらく説明する価値もないという理由で同じようなものに聞こえることが非常に多いのです。

創設者たちは、フリンジにある悪い考えと良い考えを外科的に分離する良い方法がないことを認識していましたが、「悪い考えが保護されてしまうコストを受け入れなければならない」と言いました。それは、その中にある本当に良いアイデアを自由に発言させるためのコストなのです。

彼らの処方を超えることは難しい。私たちはまだ、異端児と変人のアイデアをどうやって分けたらいいのかわかりません。そして、私たちは異端児を必要としています。どんな素晴らしいアイデアも、少数派から始まるという事実があります。もし、次の偉大なアイデアのすべてから得られる優位性を放棄しないというのであれば、私たちはフリンジを扱う必要があります。そのコストがゼロというわけではないのです。

-Bret Weinstein

かの有名なアイザック・ニュートンがオカルト研究にも非常に熱心だったことは有名な話しだと思いますが、それで彼の業績を否定する人がいないのは彼の発見が(ニュートン力学、微積分法など)圧倒的なものだったからかもしれません。もしくは彼の錬金術が化学に役立ったからだという人もいるかもしれません。

もし、その発見の実証が難しく、その価値が理解されにくいものだとしたら?二相用量反応を発見し、ホルミシスの概念を提唱した科学者Hugo Schulzは、その発見をホメオパシーの実践につなげるという誤りを犯しました。そのことによって伝統医学界からの長期にわたる科学的・職業的・個人的な反発を招きました。

そして、彼のキャリアだけではなく、現在では実証されている二相性用量反応/ホルミシスの概念の(100年にもわたって!)受け入れが大きく妨害されたという残念な歴史があります。ホルミシスの概念はリコード法やヘルスケア領域のみならず、がん治療など様々な医療、農業、エネルギー、地球環境を含めた社会的パラダイムに関わる重要な概念であり、その巨大な損失は未来の歴史学者によって見積もられるでしょう。

 

本当にレッテル貼りで終わっていいのか?

もちろん、こういった事例があるから、リコード法も正しいと言おうとしているわけではありませんし、論理的にもそのように言うことはできません。さらに言えば、私たちの認知資源は限られており、たいして重要ではない問題や、たとえ重要な問題であっても証拠が無いに等しいようなものに対してレッテル思考で片付けることには一定の合理性すらあります。もし、アルツハイマー病があなたにとって些細な問題であると感じているのならば、それで良いと思います。

もし、そうではないと考えるのだとすれば?残る問題は、リコード法が、貴重な時間やお金を使うことに見合う価値や証拠があるのかということです。誰も限られた資源を無駄にはしたくありません。私が保証できるのは、「これは本当かもしれない、どういうものかより詳しく調べてみよう」と言えるだけの根拠がリコード法にはあることです。

※ここには当然多くの注釈が必要です。別記事に詳しく記載しています。

唯一無二の研究結果

この証拠は唯一無二です。これだけ多くの方が改善や回復を示した症例報告、そして最近発表された臨床研究の驚異的な改善結果は他にはありません。並び立つような研究結果がそもそも他に存在しません。

一部だけを見て怪しい代替医療だとレッテルを貼ったり、狭量な技術論で捨ててしまうには犠牲が大きすぎます。EBM主義の限界や、個別化、多因子医療の議論など、全体の論理構造を理解した上で、つまりより広いコンテクストと医療パラダイムの変化の中で、個々のデータがどのような意味をもつのか、そして最終的に患者さんの不幸を最小化するという真の合理性をもった視点で見直してみてもらいたいのです。

最近では、アデュカヌマブが大々的なニュースになりましたが、改善という言葉を使うには程遠く、リコード法が出した結果に近づいてすらいません。

毎年100件を超えるアルツハイマー病治療薬の臨床試験が行われ、3万人超/年の患者さんが参加し、実質的にすべてが失敗に終わっています。参加者は実験群であろうとプラセボだろうと関係ありません。このことは話題にされることさえありませんが、一縷の望みをかけた患者さんが、どれだけいたのかを考えると身震いがするのは私だけでしょうか?

「一律」(ワンサイズフィッツオール)というたいして根拠のない思想に基づくEBM主義から離れることができず、そこには利益誘導の強い影響が働いているとしたら、これは本当に倫理的に正当化できる代物なのでしょうか?

トンカチしか持っていなければ、すべてが釘のように見える。-Abraham Maslow

平均的な人間には乳房と睾丸が1つずつある。-デス・マクヘイル

今回のリコード法の研究結果をメディアもアルツハイマー病の研究者も全くと言っていいほど取り上げていませんが、概念実証研究であることを差し引いたとしても、異常と言っていいレベルのものです。(これが製薬会社による新規合成薬のPoC試験結果であるとしたら、間違いなく世界的なニュースになっていたでしょう。)

研究成果のまとめ役がいない

より遠い未来の可能性まで否定しているわけではありません。私自身は科学技術に対する信奉はあり、アルツハイマー病は、いつかはより革新的な技術イノベーションによって克服されると信じています。リコード法に含まれる自然主義的考えは、現時点において、私たちが直面している課題に、先端の医療技術が追いついていないための代替案、つまり現実主義に基づいた側面として見ています。

一部の専門家、医師を含めた多くの方が理解できていないように思われるのは、アルツハイマー病のメカニズム、病態生理の真の意味での広大さと複雑さです。そして、そのことが、複雑な疾患の評価に向いていない時代遅れの承認試験制度の問題にもつながってきます。

ある公園の街灯の下で、何かを探している男がいた。そこに通りかかった人が、その男に「何を探しているのか」と尋ねた。すると、その男は、「家の鍵を失くしたので探している」と言った。

通りかかりの人は、それを気の毒に思って、しばらく一緒に探したが、鍵は見つからなかった。そこで、通りかかりの人は、男に「本当にここで鍵を失くしたのか」と訊いた。すると、男は、平然としてこう応えた。「いや、鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうなんですが、あそこは暗くて何も見えないから、光の当たっているこっちを探しているんです」 

-アラブに起源をもつことわざ

一発必中の「魔法の弾丸」で治療が可能であるというコンセプトが、これまでヒトでのアルツハイマー病研究において証明されたことは一度としてありません。ブレデセンプロトコルの成功は、単に彼の開発したプロトコルが素晴らしいというだけではなく、多因子を標的とした個別化医療の有効性を強く示唆しており、それはその他の認知症、神経変性疾患そして慢性疾患にも拡張できる可能性をもっています。

どんなに複雑な問題であっても、正しい方法で見れば、さらに複雑にならない問題を私はまだ見たことがない。

ポール・アンダーソン

一度病状が悪化してしまい、下流または上流における深刻な複数の代謝障害が生じている認知症患者さんを治療するには、新たな医療分野が必要です。それが実現しない限り、3人に一人が認知症になると言われる10年後、20年後にも望みはありません。万に一つの確率で、その頃に有効な治療が実現することを認めるにしても、現在、認知症と診断された600万人の方にとって完全に絶たれた望みであることは誰にも否定できません。

個人でも実行できる

わたしがこのブログで一番強調したいのは、リコード法で提案されているアプローチの多くは個人の努力と工夫によって実行が可能だということです。

誰にでも簡単にできるとまでは言いません。しかし、改善のための理論と技術はすでに出揃っています。さらに様々なツールが個人でも比較的容易に利用できるようになっています。

アルツハイマー病を含め認知症のリスクを下げたいなら、「治療」を待つべきではありません。「魔法の薬」を待つべきでないのです。自分のためにスニーカーを買い、外に出ていくことです。そうすることが、自らの将来を手中にすることに等しいのです。

-Kirk Erickson ピッツバーグ大学 准教授

具体的には、リコード法よりももう少し緩やかなライフスタイル(食、運動、睡眠)への介入に加えて、利用可能な血清学的検査、遺伝子検査などからいくつかのサブタイプに分類し、認知症へ転用可能な適応外医薬品(ドラッグ・リポジショニング)を複数組み合わせ、早期介入と予防医療に資源を集中させることでしょう。

難しく聞こえるかもしれませんが、医師でもない私と家族が手探りで実行した結果、10年を超えて母の緩やかな病状に至っていることは、そもそも例外がないことを考えれば(これはがんサバイバーと決定的に違う点です)励みにしてもいい事例のはずです。

また、ブログを開設して以降、多くの患者さんが限られた家庭環境の中でできることを実行した結果、その検査と実行の度合いに応じて改善や進行スピードを遅らせることができたという報告も多く頂いています。当時よりも情報は整理されてきたため、少しの真面目さと、晴れの日にあたるくらいの運があれば、見返りが期待できるレベルにまで難易度は下がっています。

ボヤのうちに食い止める

もうひとつ知ってほしいことは、取り組みが早ければ早いほど回復の可能性が高まり、その後の認知機能維持が容易であるということです。 このことは、ブレデセン・プロトコルの多くの症例によって示されています。

※取り組みが遅ければ(中期や末期になって)やっても無駄ということではありません、ここには個人差だけでなく、個人の考え方にも大きく依存します。詳しくは進行ステージにおける改善可能性と課題を参考にしてください。

「認知症の初期は、神経学的、病理学的にはすでに末期の入り口にある」という事実が一般の方にリアルに認識されていないことも、この問題への取り組みのハードルを高めるもうひとつの大きな理由になっています。このことは、わたしも含め99%の方が症状が深刻になってから右往左往させ、一定レベルの改善や進行抑制はしても完全な回復のチャンスは逃しています… (コロナウイルス感染症パンデミックも初動で抑え込むことに失敗して被害と対策コストを大きくしていますが、複雑系の不可逆性と遅延反応、そして痛みを伴わなければ人は学ばないという文脈において共通しているようです。)

特に認知症(MCI)が疑われている方や診断されたばかりの方には、医師の「今は何もすることはありません、また半年後に来てください」という言葉に最大限の警戒をはらってください。

また、氾濫する認知症治療ビジネスに巻き込まれて機会費用(お金、時間、愛情)を失わないよう、その是非や実践の判断をご自身の頭でしっかりと考えていただくことを望みます。

そして、避けられるはずの10年間の苦しみが、これ以上増えないことを強く願っています。

アルハカ

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