8 社会問題としての認知症

社会全体の思い込みと逃避

見知らぬ悪魔より知ってる悪魔

「物事ってものは、みんなとてもあいまいなものよ。まさにそのことがわたしを安心させるんだけれどもね」

おしゃまさん「ムーミン谷の冬」

個人的にニュースを見てていつも思うのは、人は、テロなど目先の新しい恐怖に反応はするけれども、どこにでも起こっている当たり前の、そしてもっと恐ろしい地獄には、そこまで気を留めないでいられるという性質があるのかな、と思ったりもします。(わたしもその一人です。自覚的ではありたいと思っていますが…)

交通事故で人が毎日死んでも誰も気にしないように、テロが毎日当たり前のように起こるようになれば、人は麻痺してテロを問題と感じなくなる気もします。

北朝鮮のミサイル発射に国民が驚かなくなってきていることなどが、いい例じゃないでしょうか。

自然現象への警戒心は低い

「やってくるこの毎日が人生だと知っていたら!」

スウェーデンのことわざ

わたしは、認知症の本当の危険性は、「もう歳もとったし、誰にでも起きていることなのだから」と、どこかで思っている無意識的な慣れではなかろうか、という気もしています。

介護うつ

もちろん本当に慣れてしまえば、それでもかまわないのかもしれませんが、現実を見れば、1300万人の介護者が存在し、4人に一人が介護うつ(つまり介護のうつ患者は300万人以上)にかかっているというのが今の状況です。

うつの兆候を示す人たちを含めるなら、介護者の半数近くが介護うつに該当するとも言われています。

介護うつ 介護うつの現状と介護うつにならないために大切な考え方

介護自殺 毎日新聞 自殺者数 介護疲れ動機が増加

「うつ 家族 介護」の画像検索結果

社会全体の現実逃避

しかし、その積み重ねで、日常生活に支障をきたしている認知症患者だけに限っても約345万人(2015年)、徘徊や失禁などの重い症状に至っている方は約200万人もいながら、彼らが、けしてそのまま公共の世界に出てくることはありません。

テレビで特集とか組んでるじゃないかとか思う方もいらっしゃるかもしれませんが、圧倒的に深刻さと頻度が足りないのです。

メディアの問題を嘘か本当かで捉える方が多いのですが、メディアの真の問題は大衆との相互作用による情報の増幅装置となっていることであり、そのことが小さな問題を過剰に強調し、大事な問題を過小評価していること、そして致命的なのはそうであるという認識がお互いにほとんど欠けていることです。

認知症患者の誕生サイクル

いずれにしてもこの悲惨さのオブラートは社会の優しさなのか、我々が臭いものにフタをしたい感情があるからなのかわかりませんが、そこで認知症問題に人が強く目を向けない → 認知症になる人が生まれる、といったことが繰り返されているようにも思います。

MENDプログラムに基づいた認知症予防策が徹底されれば、少なくとも現在の潜在的な認知症予備軍の半分以上は救われます。

このことが放置されている現状は狂気としか思えない…

また、社会や人が死を取り扱う時、客観的な事象として扱うか、情緒的に扱うかのどちらかで、死に備わる底なしの恐怖そのものが直視されることはめったにありません。

その恐怖心の回避が、そのまま痴呆やボケに目をむけないことにつながっているというふうに見えることもあります。

認知症先進国日本

「僕は人類全体の苦痛の前に頭を下げたのだ」  ドストエフスキー

人類の歴史上初 10人に1人が認知症の国家に

「dementia population japan」の画像検索結果

認知症はあらゆる病気の中で、社会的にもっともコストのかかる病気であり、年間14兆円が失われ患者数は460万人を超えます。

※ちなみに東京オリンピックの開催費用は3兆円、自衛隊の予算は5兆円、教育を保育から大学まですべて無償化しても8兆円です。

誤解をまねく460万人という数字

この460万人という数字はある意味、誤解を招く人数です。

これは診断された人の数であり、症状がなく診断の定義としては未病である一定数の人たちも、目に見えないだけですでに神経学的な悪化をきたしているからです!

現状の認知症治療への取り組み方が続けば、彼らは将来、認知症を発病することがほぼ約束されています。

その数は、現在の発症率12~15%が続くなら、認知症の症状が発症していないだけで、神経学的な悪化のある人たちがすでに1000万人以上いることになります!

1000万人の認知症患者

未症状の方が実際に発症すると、1000万人の認知症患者が生まれます。

そして日本人人口がこのまま減少していけば、10人に一人が認知症を発症している社会が誕生します。

国民の10人に1人の認知機能がおかしくなった社会、国家というものは、歴史上存在したことがありません!

タングル借金・アミロイド借金

これは目に見えない大きな国の負債の一種です。

なんとタウタングル(神経原線維変化)は、普通の人であっても16歳の頃から蓄積を始める兆候を見せることがわかっています!

アミロイドを包摂するプラークも、少なくとも、誰であっても30、40歳から蓄積を始めます。

これを「タングル借金」または「アミロイド借金」と呼んでもいいのではないでしょうか。

国の借金と違うのは、国の借金はがなんだかんだで、次世代に後回しできるのに対して(言ってはダメ?)、タングル借金やアミロイド借金は満期が来たら、ほとんど為す術もなくすべてをとりはぐられます。返済を完了するには死ぬしかありません。。

※ちょうど国の借金が適切な額であれば健全であるように、タウやアミロイドβ借金もその恒常性が機能しているのであれば、適量あってもよいのかもしれません。

改善策は完全放置

興味深いのは、タングル借金を減らすための情報や社会的な仕組みはまったくないといっていいに等しいのですが、発症後の症状に対しての対応策については、情報が充実していて、社会的な仕組みもどんどん洗練されてきており、十分ではないにしても、家族や国もそれなりにケアをしてくれます。

こういった社会のケアシステムは、ケアを受ける立場からみてよくできているなあと素直に感心したり、社会という仕組みのありがたさを感じることもあります。

ただ、バランスとして見たとき、ケアの充実に対して、発症前、MCI、診断直後にすべきことの取り組みが、極端に抜け落ちています。

感覚的な数字ですが、社会全体が症状が悪化してからのケアに100の力を注いでいるとしたら、予防施策は10、診断直後の改善への取り組みは1以下じゃないでしょうか…

情報のすき間を悪徳業者が埋める

怪しい健康情報に飛びついて業者のカモとなってしまっている消費者をバカにする人たちがいますが、中間を埋めるまともな情報が出回っていないわけですから、認知症と宣告された人たちにとっては飛びつくしかないわけです。

どんなにそのサプリメントが本当は効果のないものだとしても、その心理的な行動理由を見れば筋が通っているわけです。

たしかに業者の儲けることしか考えていない製品作りはわたしも大嫌いですが、今の資本主義社会で、そこだけ批判してもあまり生産性は無いように思うのです。

本当に批判すべきは、「中間的証拠の医療情報を体系的合理的に提供するシステム」が社会に存在しないことじゃないでしょうか。

認知症の死者50万人/年

認知症で亡くなる人の直接死因は肺炎や心臓発作などで記録されるため、認知症で亡くなられた方の数を探しても出てきません。

認知症患者の人口、平均生存年数などから計算したところ、現在、認知症を起因として亡くなる方は、毎年50万人以上いると推定できます。

※なぜ認知症死者数の概算データが見当たらないのか不思議です。

一日に1300人の認知症患者が誕生

一方で認知症患者全体の数は増えていっているため、新たに認知症と診断される人も、毎年50万人以上いるわけです。(この数字はほとんど語られていません。そのため患者数の増加率を元に計算しています。)

これは、自分たちがなに気なく過ごした今日一日に、全国では1300人の方が認知症と医者に宣告され、約2000人の家族が、むこう6年間の介護地獄へのスタートを切ったことを意味します!

しかし、所詮は他人ごとなのでしょう…

「1000 people」の画像検索結果

※上記画像は1000人の人物写真

※要介護者の平均世帯人員2.5人

※経済的な負担は一日の遅れで350億円(1370人×382万円×6.7年間)になります。

認知症は他の社会問題を凌駕する

経済的にも個々人の問題としても、ここまでインパクトのある社会問題は他にはそうそうなく、ガンやエイズ、原発の停止(1.3兆円)TPPの廃止(3兆円)などでさえ、認知症問題の深さには及びません!

ギャップが激しい認知症の問題意識

認知症ほど、世間の心配の程度と、その問題の本当の深刻さに、ギャップがある問題もないんじゃないでしょうか。

テロ事件と認知症問題を扱った総放送時間を死者数で割って比べてください。

問題の性質が違うという人がよくいるのですが、テロの日本人死者が(海外で)数人であるのに対して認知症患者は50万人です。この10万倍という数の違いを無視してもいいほどに、認知症問題は(テロなどと比べて)話題性を必要としない問題なのでしょうか?

誰も本当の意味で深刻さに気づいていない

これはテレビや新聞は嘘をついているとか、騙そうとしているとかいったレベルの批判ではありません。現在のニュース、報道が持つ最初からもっている原理的な自己矛盾に根ざしているのです。

(間違っているという話ではなく、問題の深刻さを見誤っている人が多すぎる…)

自然現象とみなされ、至るところにあり、徐々に起こっていくがゆえに、かえって、その射程と根深さが知られていません。

100人中1人がMENDプログラムを実行すると2万人が救われる

創業当時、私が「世界的視野に立ってものを考えよう」と言ったら吹き出した奴がいた。

本田宗一郎

MENDプログラムの改善率は、症例報告の段階では50%を超えるとされています。

最新経過報告

MENDプログラム臨床試験 239名の被験者

2017年8月

・SCI(主観的認知障害) MCI(軽度認知障害)患者のほぼ全員が改善

・初期アルツハイマー病患者の50~88%認知機能を改善

・中期~後期アルツハイマー病患者 いくつか反応あり、プログラムの遂行能力が課題

※ブレデセン博士曰く、プログラムが実行さえされるなら100%改善するとのこと

参加者の75%が辞めざるをえなかった仕事に復帰

※情報元 ACNEMブレインカンファレンス (英語) (Youtube)

毎年25万人の生命が助かり8兆円の予算が生まれる

もし380万人のMCI患者、160万人の初期型認知症患者が全員実行すると空想できるなら、例え50%という控えめな改善率で計算しても270万人の命が助かり!年間8兆円の社会的負担が持続的に軽減されます。

…半分の実行率が妄想だとしても、元の分母があまりに大きいだけに、

該当者のほんの1%の人が実行するだけで、2万人!の人生とその家族の生活が救われる可能性があります。

※440万人(MCI+初期AD)×実行率1%×成功率50% = 22000人

2万人は現実的な救済者数

この1%は適当に思いついた数字ではなく、いくつかの分析から、当ブログを見ていただいてる読者の1%前後の方がMENDプログラムを実行しているのではないかと推察しています。

小難しくてわかりにくい当ブログであっても(汗)それぐらいあるということは、もっと一般の方に伝わるようにマーケティングも考えてわかりやすいサイトが作られれば、この数字はもっと上昇するはずです。

当然母数が増えれば実行者も上昇します。ですのでReCODEプロトコルが知られるようにさえなれば、この1%の実行率と50%の成功率によって2万人が助かる可能性は、十分に見込める現実的な数字だと思っています。

社会そのものを変えていこうとするぐらいの本気度で考え出すと、ブレデセン博士のように商業的なシステムを作っていくしか方法がないのでしょう。

博士も、プログラムを普及させていくことを考えて、マーケティングも含めた治療システムを作ることに行き着いたことのだろうと想像しています。

実存的問題

君があらゆる望みをすて、もはや目的も要求も知らず、幸福のことなど口にしなくなった時、 その時初めて事件の波はもう君に届かなくなり、君の魂がはじめて憩う

ヘッセ

埋もれてしまう個人の生

お金や社会的な損害の話しばかりしてしまいましたが、「何万人が!」とか言われても、ある意味そういう大きな話というものは、かえってピンとこない、自分たち個人の実存的な生というものが見えにくくなったりもします。

また、認知症は、えてして悲惨さばかりがクローズアップがされ、またその反動でか「家族はともかく、本人はそれほど不幸でもないよ、」といった意見も時々目にしたりします。

幸福の過度な強調

どのみち死なねばならぬなら、 私は、なっとくして死にたいのだ

梅崎 春生

わたし自身はというと、実はどちらの意見にも組みしておらず、今の世の中、幸せ不幸せという観点ばかりが強調されすぎているのではないか、とも感じています。

当然、幸福の定義を広げれば、すべての問題は幸福かどうかだけになってしまいますが、幸福というのはみなさんが思われているほど、人生の価値を決める万能な物差しではありません。

(たまたま現代が、絶対的な価値観を失った相対主義的な時代であるため、人々が幸福を基準に考えてしまいがちだというだけのことです。)

認知症の本質的な問題はその悲惨さもさることながら、「人が人生をどう終えるのか」つまり世界の終焉という究極的な実存問題であり、通俗的な幸福の問題を超えているのではないかと思うのです。

こういった人生の最期をどう考えるかは、とうぜん、その人の人生観にもよるでしょう。映画のようなハッピーエンディングを望む人も多いと思います。

関連画像

わたし自身、病気の経験があるため特異的にそう考えるのかもしれませんが、認知症になるということは

「人生最期の時期に、自分自身に対して生きることへの問いかけができる最も重要な瞬間を逃してしまっている」

と感じており、ある光のもとでは、それが全てだとも感じています。

なんだか、話しが小難しくなった気がしますが… 長いあいさつが、ますます収集つかなくなりそうなので、また別の機会に譲らしてもらえればと思います。(汗)

最後に

果実の役目は貴重であり、花の役目は甘美なものであるけれど、わたしの役目は、つつましい献身で木陰をつくる、樹木の葉のようでありますように

ラビンドラナート・タゴール

多くの人にとってMENDプログラムは、たしかに簡単とは言えません。

その広範囲さえゆえに、必ず苦手分野が存在し、それらの克服も必要となってきます。

すべき事柄の多さもですが、その前に、二極化しているトンデモ健康情報と、現代医療の非実践性、どちらの不合理な面にも気が付いて常識感を変えていかなければなりせん。

死ぬだけよ、あんた死ぬだけよ、

――なんとかしようとしなければ、あんたは死ぬだけよ

小説「大麦入りのチキンスープ」

回復までに登るべき階段は約10段あります。

やってみようという決心と実際にスタートを切ること、この最初の2段だけは残念ながらお手伝いができません。(最大の障壁です。)

残る階段を、同じ闘病者として一緒に登っていきたいと思います。

2017年1月

アルハカ

あいさつ文の補足的なことについて書いています。

9 追記

簡単な自己紹介はこちら 自己紹介

断片的な情報はツイッターで発信していく予定です。

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