7. 認知症改善のコツと方法

アルハカ改善策

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小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道だと思う。

イチロー

ブレデセンプロトコル(リコード法)について長く紹介してきましたが、わたし自身は当然ながらブレデセンプロトコル(リコード法)のように、詳細に臨床検査の異常値を事細かく把握して治療を行ってきたわけではありません。

ゆるいホーリズム的な発想の元に医療情報を混ぜた試行錯誤的な改善策ですので、参考になるかどうかわかりませんが、ひとつの考え方としてこういうものがあるんだということで、見ていただければと思います。

1 臨床的に効果があると示されている改善策の中で実行可能なものを選択

(ボトムアップ方式)

2 機序と五感を重複させず多面的に取り組む

(脳への刺激を分散させる)

五感プログラム

・視覚 → 写真回想法・脳トレ

・聴覚 → 音楽療法・会話

・味覚 → 食事管理・サプリ

・触覚 → 運動、温熱療法、日記を書く

嗅覚 → アロマ療法

※つまり複合的に組み合わせるといっても、例えばサプリをいろいろ摂るだけというのは、ひとつに偏っているので多面的とはいえず不可になります。

Five Senses Icons

3 コストと手間を抑え改善策の種類を大量に増やす。

(異種混合を極大化)

というブレデセンプロトコル(リコード法)と比べるのもなんですが… 緻密な計画とは言い難い基準を設けて、実行していました(泣)

※「力技で診断時のレベルに戻した」と最初に書いたのはそういう意味もあります。

アルハカメソッドのポイント

とはいえ注意してもらいたいのは、「とにかく良さそうなことをいろいろやってみる」とか「下手な鉄砲数打てば当たる」といった考え方ではないところにあります。

これはブレデセンプロトコル(リコード法)にも通じる話ですが、良さそうだと思ったものに飛びつくのではなく、まず有効性がありそうな選択肢を客観的に絞っていくことで、機会損失を大きく防ぐことができていたと思います。

上手な鉄砲をたくさん打つ

治療改善策の「絞り込み」「大量に数をこなす」という、一見すると矛盾していますが、両方の戦略が認知症改善に必要不可欠です!

またその後、試行錯誤、調整(学習)も繰り返してきているため、改善策や投与薬も常に変化してきています。

これもブレデセンプロトコル(リコード法)の手法と重なると言えるかもしれません。また、こういった小さなアレンジと知識の積み重ねもやってきて地味に重要だと痛感しています。

もう少しまとめた言い方をすると、

「エビデンスを元に的を絞り込み、絞り込んだ後には投資効果を考えて、打てるだけ打ちまくる」

(最適条件を追求せず、多数のゴール(改善目標)を設定する)

というふうに言えるかもしれません。

もう2つだけ加えさせてもらえるなら、

「選びぬいた治療方法を、継続的に工夫を重ねていく」

(自らの誤りを尊重する)

「治療方法全体の考え方そのものにも柔軟性をもたせる」

(変化自体が変化することも許容)

という点も大きかったかと思います。

特に、この工夫を重ねていくというのは、単により良いものに改善していくという意味だけではなく、その改善策の本質面は継続していくことが大事ですが、多くの具体的な個々の実行策については「同じことを繰り返さない、単調さを避ける」ということ、「家庭でできる客観的な物差しをもつこと」(フィードバックができるようにすること)を含みます。

これは、わたしが認知症という病気を、ネガティブな恒常性を持ってしまった複雑系の疾患と捉えているところにも起因します。

これはあくまで包括的な指針で、個々の改善策にはもちろんより詳細な方法論がありますが、当時の自分のもてる知識と置かれた環境の中でできる最善の戦略であったことには間違いありません。

ブレデセンプロトコル(リコード法)とアルハカメソッドの違い

ブレデセンプロトコル(リコード法)とアルハカメソッドの対照的ともいえる違いは、ブレデセンプロトコル(リコード法)は個人によって異なるアルツハイマー病の穴を、血清検査、遺伝子検査などを用いながら、その人個人に合わせて努力を最小限にしていくという見方もできるかもしれません。

それに対してアルハカ戦略は、穴をある程度は絞るものの穴の場所の個人差は無視して、個々の改善策の効率化を測り、DIYなどを通してかかる費用や時間などを最小限に抑えて、36のすべての穴をふさごうとしている、という見方もできるかもしれません。

少々揶揄的に書くと

・TVの健康情報  1枚の壊れているかどうかわらかならい瓦を交換

・製薬会社    1枚の壊れた瓦を高品質な瓦に交換

・ブレデセンプロトコル(リコード法) 36枚の瓦から壊れている瓦を見つけて全部を交換

・アルハカ    36枚の瓦にとりあえずブルーシートをかける(苦笑)

(その後で瓦を一枚ずつ交換していく)

といった感じでしょうか。

ブレデセンプロトコル(リコード法)を知ってしまった後では稚拙さを感じざるを得ませんが、(その他のあらゆる認知症治療も含め)現実問題として原因を特定するための検査が個人ではむずかしい環境の中で、とりあえずの時間稼ぎとして行う目的であれば、今でもこのブルーシート戦略?は、今でもある程度有効だと思っています。

そして過渡期であるからこその治療法でもあり、リコード法が浸透すれば捨て去られるべき治療法であるとも思っています。

草の根医療

このブログサイトは自分のように一般市民であっても、「医療情報を読んで治療方法を模索する」という自己決定による自己医療は可能である、ということを、その稚拙さ、失敗を繰り返すことも含めて、提示する意味合いを含むかもしれません。

そういった思想的な何かをもっているわけではないのですが、俯瞰的に見ると既得権益のコモディティ化という時代の流れに位置しているのかなと思ったりもします。

これは、将来的には医療関係者全員を敵にまわしかねない動きかもしれません。(冷汗)

グラウンドセオリーの欠落

現代医療は高度に専門的になっているため、個人がなかなかそのすき間を埋めるのは難しいのではと思う方もいらっしゃると思いますが、専門性があらゆる土俵で同じレベルでもって追求されているわけではありません。

また、専門領域のタコツボ化が問題視されて久しいとも思いますが、それぞれの専門分野の深いところで対立するのではなく、むしろそれらを利用しつなげていくことで、個人の努力が通用する余地は十分あるものと感じています。

※すき間といってしまうと10個の正規手段に対して裏技が1個ぐらいしかないイメージになってしまう気もしますが、アルツハイマーに限っては1個の標準的な治療法に対して、100以上のニッチ的な改善可能性のある代替策が存在するように思います。

ツールとしてのブレデセンプロトコル(リコード法)

いずれにしても、わたし自身はブレデセンプロトコル(リコード法)を(医療エビデンスも含め)全面的に依存する基盤として扱っているのではなく、いわば前哨基地のように考えており、他により良い方法があれば、ブレデセンプロトコル(リコード法)にも自分の方法論にこだわるつもりはまったくありません。

一つにこだわらないことが鍵となる

「おまえはホント、自分のうまさにつまずくタイプやろね。得意なものにつまずくからなぁ、全員。」

明石家さんま

あらゆる治療法が効果をもつことの意味

アルツハイマー病の文献を網羅的にあたっていると、古今東西のあらゆる健康法やサプリメント・医薬がアルツハイマー病と関連付けれて研究されており、治療効果の可能性が報告されていることに気がつきます。

決定打となる治療法がまるでないにもかかわらず、可能性のレベルを探ると今度は極端になんでもかんでも効果があるかもしれない、といった話しになるわけです。

これはアルツハイマーが単一の原因をもつ病気ではなく、多くの病因を含んだ代謝障害、ネットワーク障害だと考えれば、少なくともひとつの合理的な解釈にはならないでしょうか。

単一標的型治療の必然的な失敗

繰り返しになりますが、もしそれが事実だとするなら、世の中のほぼすべてのアルツハイマー病回復を目指した単一標的型の治療研究は必然的に失敗に終わることになります。

そうだとすれば、今治験を受けられている患者さんは犠牲者でさえありません。

治験の結果を次の患者へと役立てることもできないという意味で、文字通り無駄死にです!

正直いって、アルツハイマー病の代謝障害がこれだけ多岐にわたっている事実がありながら(これはわたしの個人的見解などではなく明白な事実です)、単一の薬剤での治療にこだわることに何の論理性も実践性も感じられません!

何十万kmも走って動きがおかしくなった車を、一つの工具と一つの部品で修理しようとしているようなものです。

たとえ多因子説の証明自体がむずかしいとしても、そのことから単一の薬剤での治療回復が可能であるという結論には直結しません。

このことが事実かどうかの差は、途方もない人的、経済的犠牲をもつため、(もうすでに生じてしまっていますが)少なくともそういう可能性について議論されるべきだと思いますが、いまだ議題にさえ上がっていないことに絶望感さえ感じています。

治療ボトルネック

また私個人の推察ですが、おそらくほとんどすべての人は、得意分野を探求しても解決の鍵を得られません。

えてして、われわれは自分の得意な分野だけにこだわって、問題の解決を図ろうとしたりします。

アルツハイマー病の裾野が広いことが災いして、医療の研究者だけでなく、代替療法にこだわっている方、企業、一般の方、だれもが自分の専門分野、専門業界、特異分野にこだわっって勝負をしようとしています。

事態は逆です。ここは直感ですが、専門外の分野がボトルネックとなっている可能性が高く、むしろ努力すべきエリアは自分が苦手だったり、不得意とするところにあることが多い、そういうケースをいくつか見てきています。

わたしの母個人のケースで言うなら、母の病状の進行が進んでいた時期、治療ボトルネックのひとつに運動不足がありました。そして母は運動が大嫌いです(汗)

日常の改善策

価値があるものなのに、それを無視して、もっと良いものを探していると、すでに持っているものを無くしてしまうことがあります。

パラケルスス

誤解されている日常の改善策

また、治療効果が明確でなくても、例えば緑茶を飲むといったような、コストや副作用が小さく、入手も簡単、実行の手間もかからなければ、それらを行わない理由もないと思います。

※ちなみに化合物に対する理解がすすむと、緑茶がもつ認知機能への改善作用は多くの機序的裏付けがあるので、例えとしてはよくありませんが。

当たり前すぎて軽んじられる

ブログに書かれる治療法の中には運動や睡眠など、日常的にありふれたものも多いので、人によっては多少効果はあるにしても、「まあ焼け石に水程度だろう」と考える方がいるかもしれません。

わたしも、似たような思い込みをもっていた時期がありましたが、医学的な理解や実体験を通して、軽んじがちな改善策が実行の仕方次第で、実は治療薬を上回る大きな認知症改善効果をもっている、とだんだん気がつくようになってきました。

※定性的には、アセチルコリンの不足を補うためにアリセプトを摂って増加するアセチルコリンは、思考活動や食事、運動によって増えるアセチルコリンと分子化合物としてなにか違いがあるわけではありません

「大事なのはわかっている」という言葉が一番危険

そういった日常の行動療法を、お母さんが「野菜をもっと食べなさい」と言うような、一般的な健康予防策の延長のように受け取ってしまうのは、間違いどころか、大変危険です!

※自動車を運転するのに、車の構造やエンジンを知る必要はありません。我々が今生きている社会は、こういったやり方だけを受け取って実行するということが、ごくごく普通のこととなっているため、命に関わる医療や健康情報にしても同じことを適用してしようとしてしまいます。

諸君がどれほど沢山な自ら実行したことのない助言を既に知っているかを反省し給え。

聞くだけ読むだけで実行しないから、諸君は既に平凡な助言には飽き飽きしているのではないのか。

だからこそ何か新しい気の利いたやつが聞き度くてたまらないのじゃないか。

小林秀雄

日常生活の改善策はDIY

「diy drug movement」の画像検索結果

おそらく中には「緑茶を毎日に飲んでいたけど認知症になった」とか「徘徊していたらそれで結構な運動になっているけど治らないじゃないか」というような批判もあるかもしれません。

行動療法や睡眠、食事の改善、サプリメントも含めて、薬のように飲めば誰にでも効くというようなものと違って、それぞれ効果を最大化させるためのコツやポイント、個人差、組み合わせ方があり、それぞれを抑えて実行しないと効果が発揮されません。

日常改善策はただすればいいというものではない

これは医薬も同様です。ただし病院でもらう薬というのはその成分だけに目がいきがちですが、実は処方薬というのは「どういった人に」「どのタイミングで」「どれだけ摂ればいいか」が、添付文書や薬剤師さんの説明などを含めて、すべて厳格にパッケージ化されていることも含んでいます。

サプリメントは医薬ほど厳格に用いなくてもいいのではないか、と思っている方もいらっしゃいますが、一概にそうともいえないのです。

たしかに薬理作用の有効域の狭さだったり、他の薬物との化学的拮抗作用といった話になると、医薬品はシビアな扱いが必要です。

その点においてサプリメントや日常改善策は、摂取量や実行方法を少し間違えたからといって致命的な副作用が生じるといったことは通常ありません。

しかしサプリメントの効果を治療域にまで高めようとすると、話は変わってきます。

この場合相乗効果がほぼ前提となるため、生体吸収率をあげるための組み合わせを考えたり、概日リズムを壊さないための摂取タイミング、薬物耐性を防ぐための摂取量など、細かい自己調整パラメーターが逆に医薬よりも増えてくるのです。

これはサプリメントだけでなく、運動や睡眠、食事、断食などもそうです。

つまり、日常生活的な改善策というのは、それを本当に効果のあるものとして活用しようとする場合、個々の自己調整項目が増えるうえに、それが多剤型の治療プログラムでは二桁の数にもおよぶため、その点もハードルを高める要因となってしまいます。

検査と実行率が命運を決める

シナプス新生と退縮の恒常性を回復させるためには、どれだけ多くのアルツハイマー病発症因子(≒シナプトクラスティック因子)を同時に抑制していくかが、認知症治療において大きな鍵となってきます。

日常改善策を最大限発揮させようとするのはなかなか難しい、という話しをしましたが、一方で全ての日常改善策を完全にこなさなければいけない、というわけでもありません。

これは、その人の障害要因がどこにあるのかによっても違ってくるのですが、屋根に開いた穴は相互に影響をおよぼし合っているため、全ての穴(障害要因)をきれいに埋めなくても、一度一定の閾値に達してしまえば、シナプス恒常性機能全体が正常化し、アルツハイマー病の症状が逆転していきます。

これは、検査の後、改善策を一定数こなすことが重要であり、次善の策、中途半端な実行ではそれほど期待できる改善は見せないかもしれないということを意味します。

例えば、仮に20の改善策を行った場合に10の回復があるとした場合、10の改善策でその半分の5の回復があるかというとそうとは限らず、2か3の効果しかないかもしれません。

一方で倍の40の改善策を行えば2倍の回復を見せるだろうと期待しても、実際には1.3~1.4倍程度の回復度合いしかないかもしれません。

この一定数というのは、患者さんの病状の進行状況や、代謝障害の穴がどれだけあるかなどで左右されます。

現時点ではどれだけ行えば回復に至るかを正確に知る簡単な方法はないため、検査の後に実行すべき項目を絞った後は、それらの改善策をできるだけ広範囲に試行するというアプローチが最善の方法です。

社会通念がかえって危険

一般的にアルツハイマー病を治すという医者や世間の考え方は、投薬的なことばかり(それもひとつの薬に)に焦点が当たりがちです。

しかし、アルツハイマー病がプリオニックループ障害、つまり多因子による細胞死プログラムが発動した結果であると考えるのであれば、それがどんなに優れた薬であろうと、それだけではけしてアルツハイマー病が治ることはけしてない、と言わざるをえません。

特に運動や睡眠、食事の適正化などは、それさえしておけば認知症改善するという十分条件ではありませんが、それを他の治療法と連動させて実行しなければ、認知症は改善しない必要条件です。

運動や食事、睡眠が重要だということは世間的にも常々語られているため、「重要」という言葉だけが重複してしまってかえってその定量的な度合が(おそらく定性的にも)誤解を招くのですが、そこは大きな注意が必要です。

ブレデセンプロトコル(リコード法)を見た方の100人中99人が「なんだ結局運動しろか」とか「食事で治るなら苦労しないよ」と片付けてしまいます。

「99回 NOです!」

ブレデセンプロトコル(リコード法)の中にひとつとして、「認知症になんとなく良さそうだから取り入れてみた」というような治療法は含まれていません。

個々のプログラムには、すべて研究の裏付けがあり科学的な理論があります。

ブレデセンプロトコル(リコード法)を見ていると、管理人的には他にもまだ有効な治療法はあるだろうと思うこともあるのですが、そうやってあれもこれも取り入れていると本当に実行不可能なプログラム量になるため、個々の治療内容も相当に厳選されています。

ここで、運動や食事が大事という世間的な感覚に安易に重ねてしまうと、「まあ今日は掃除と皿洗いをしたから」とか、「毎日三食ちゃんと野菜と玄米を食べているし」といった治療レベルに達さない形で十分だと見なしてしまう方を何人も見てきています。

10人中10人が、ためして◯ッテンなどで語られるレベルで運動や食事の重要性を捉えてしまっており、ここは意識改革といっていいようなものが必要になってくると思います。

知識は見えない健康ポイントを見る力

薪割りを好む人が多いのは理解できる。この仕事では結果がすぐ分かる。

アインシュタイン

当ブログで紹介するDIYな治療方法はまず、この日常生活にありふれた事柄に潜む仕組みの理解から始める必要があります。

仕組みの理解ができる

 ↓

重要性とコツがわかる

 ↓

継続力と実行力につながる

わたしの頭脳ではこの流れ以外の実行方法が思いつかないのです。

もらうまで給与がわからない会社

他人からよく知らない会社の採用募集で「働きぶりに応じて報酬を支払うけどいくらになるかはわからない。その報酬は数ヶ月後、場合によっては数年後に支払う」と言われたとします。

人はその会社で働きたいと思うでしょうか?ほとんどの人はNOでしょう。

ところが、誰かが語る健康情報を良いと聞いただけでわからないままやってみようというのは、この会社に就職するようなものなのです。

反対に知識や理解が身につくと、例えば30分運動したら、そのたびに1万円分のポイントをもらっているようなものだということが、わかるようになります。

そしてちょっとした生活上の工夫をするだけ5000円分のボーナスポイントがつくとかいったことがわかってくるため、今度はこうしてみようといったフィードバックが可能となるため、改善策はどんどん洗練されていきます。

そのように得られる報酬が知識によって具体的にイメージができると、こんなホワイトな会社はないじゃないかと、その会社で働きたいというモチベーションにつながるわけです。

盲目的な実行は100%挫折する

特に手間暇がかかり体感的な効果がすぐに感じれないものは、なぜそれが必要なのかを自分の頭で考えて納得しておかないと、最初はいろんな本を読んだり、サイトを見たりして「早く始めないと悪くなる!」と焦って勢いで飛びついも、続けているうちに疑いだしたり、面倒くさくなってやめてしまうケースが多いように見受けられます。

繰り返しになりますが、認知症は体感で簡単にわかるような病気ではありません。

風邪のようなものであれば、飲んでみた → 風邪が治った そして「この薬は効くなあ」となりますが、認知症は短くても数ヶ月単位、通常は数年単位の成果で考えて行動するものです。(くどいようですが、20年かけて認知症が進行していた間、そのことにまったく気がつかなったことを思い出してください)

そのため、サプリメントや医薬など飲むだけのものでさえも、理屈がよくわからないまま、ドサッと大量に与えられると、多くの人は「こんなにたくさんの薬やサプリを摂ったら、身体にかえって悪いのではないか?」と疑心暗鬼になると思います。

白衣を着たお医者さんが威光をもって説得してくれるわけでもありません。

そして数カ月経過すれば、「効いているのかよくわらかないしなあ」と感覚に頼って減らしたり、「お金もかかるし」とか「管理が大変」などと無意識に理由を作り出して、止めてしまいます。

継続的な学習者を目指す

とはいえ、時間に迫られている患者さんが、最初に飛びつくのは仕方のないことだと思います。(むしろ必要なことかもしれません)

継続のためのポイントは、勢いで始めた後、そのまま惰性的に続けるのではなく、実行していく中で理解を一歩ずつ深めていくことがひとつの成功パターンであるように思います。

「continuous learner」の画像検索結果

ブレデセンプロトコル(リコード法)の普及

六次の隔たり

「もし君と僕がりんごを交換したら、持っているりんごはやはり、ひとつずつだ。でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは2つずつになる。」

バーナード・ショー

そして、もうひとつ、実はわたし個人にとってはこっちが大きな意味をもつのですが、仕組みが情報として伝わることで、それを学んだ人たちが(アルハカの手を離れて)そのメカニズムを再び他者に伝えることができる、ということにあります。

わたし個人が直接必死になって人に伝えても、それを享受できる人数は極めて限られからです。たぶんせいぜい100人ぐらいとかじゃないでしょうか。

個人対個人の努力では、すでに500万人は超えている認知症患者さんの1%(5万人)でさえ手を差し伸べることができません。

困っていない時に頼る力

一方で、矛盾したことを語るようですが、できるだけ早く相談してほしいという気持ちもあります。

直接的な支援の側にまわることは、わたし自身は嫌いではありません。むしろ、それで回復していくさまを目にするのは、純粋にとても嬉しかったりします。

(これはわたしがいい人だという話ではなく、結果が目に見える善意というものは多くの人にとって心地いいことでもあるという一般論です。個人的には、結果を直接的に見ることができなくても行うことのできる親切力が、今の時代、より大切になってくるだろうと思っています。)

支援というのは実はヘルプする側が価値と役割を与えられます。むしろ頼る側が恩や義理を感じてしまって、なにかを頼むということをひどく負担に感じたりもします。

誰かが道端でこけて、周りの人が駆けつけた時に相手から出る一声は「大丈夫です」だったりしますよね。

日本文化の「できる限り人に迷惑をかけてはいけない」という美徳は美しくもある反面、認知症患者同士の支え合いにおいては、大きなネックになっているのではないかとも思っているのです。

むしろ診断直後にこそ、「初発に頼る力」というものが必要です。

なぜなら何度も繰り返してきたように、認知症はまだ大きく困ってない段階で、とにかく早め早めに対処していかなければ回復が難しくなってしまう疾患だからです。

人に迷惑をかけまいと歯を食いしばって一人で頑張って、本当に困ったときには支援する側も手をなんとかしたいと思ってもどうにもならない…

あまりこういう物言いは好きではありませんが、少なくとも認知症に関しては「迷惑をかけてはいけない」という感情が最終的にはもっとも多くの人に迷惑をかけます。

認知症回復に成功するパターンはまだ深刻な症状は出ていないという間に、大げさではないかというぐらいにジタバタし、そこであらゆるソースに頼りつつも学んでいき、その後自立していくパターンではなかろうかと思っています。

今、協力体制のようなものをどう作っていったらいいのか、頭をひねっています。結構苦手分野です(汗)

なにか良い知恵がありましたらお知らせください。

自己改革的な医療

そういうわけで、普及の効率化を目指すには、読めば実践できるようなブログを作ることですが、そういうブログではないよなあ、と自分のプロモーション能力、伝達能力の低さを自覚したりもします…

ただ、フローチャートとか作って誰でもできるような形のプログラムを提示したとしても、必ずアナログな理解と行動が必要となってきます。

わたしの最大の問題点は、まだどういったタイプの人がブレデセンプロトコル(リコード法)を実行するのか、そして実行する人がどこでつまずくのか、あれやこれや調べすぎて感覚的にわからなくなってしまっていることです。

そういうわけで不明な点、わからない点等がありましたら遠慮なく質問してください。

素朴に思った疑問というものは、たいてい他の人も同じことを思っていたりしますし、それをサイトに反映することで他の方のヘルプにもなると思います。

すでにあるアルツハイマー病治療薬

「アルツハイマー病は全く違った種類の敵だ。倒せる武器がない。アリセプトとナメンダを服用するのは、燃えさかる炎の前で小さな二本の水鉄砲を構えているようなものだ。」

アリスのままで

その他、機能性食品いわゆるサプリメントなども、品質、摂取量、摂取タイミング、組み合わせなど、やはりそれなりに下調べや工夫をして、初めて一定の効果をもたらしてくれるように感じています。

また、サプリメントだけではなく、例えばシロスタゾールやアスピリン、セルベックスなど、多くの既存医薬品が認知機能への改善効果がある可能性が示唆されており、中には現在、臨床試験が進められているものもあります。

ドラッグ・リポジショニング

※ガランタミン(元はポリオの治療薬)、メマンチン(元はインフルエンザの薬)も、元々はドラッグポジショニングとしてアルツハイマーに転用された薬です。

多くの認知症適応外治療薬は入手可能

医者ではありませんので、具体的にすすめることはできませんが、そういった既存医薬品のほとんどは、工夫しだいですぐに入手が可能です。

これも知らない方が多いと思いますが、アルツハイマー病治療薬として研究されている医薬は研究所で合成されたまったく新しい化合物で、個人には入手できないと思っている方が多くいらっしゃいます。

もちろん抗体のようなものだったり、特殊な抗がん剤または静注投与しなければならないようなものは、個人では入手も使用も不可能です。

しかし臨床も含めた研究論文を全体的に見渡すと、アルツハイマー病で研究されている化合物のほとんどが、食事からの摂取で効果を得られる成分、サプリメントに含まれている栄養素、個人輸入で入手可能な既存の市販薬、医者からの処方が可能な医薬だったりします。

「なにかあったらどうする」

懐疑的な患者「このプログラムが自分を良くするとは思えない」

ブレデセン博士 「6ヶ月時間をくれ、それでアルツハイマー病がよくならなかったら、好きなところに行けばいい。」

懐疑的な患者 「他にどこにも行き場所はないだろう」

ブレデセン博士 「それなら、一体なにを失うというんだ!」

つまり、ここでも知識の問題になってきますが、ほとんどのアルツハイマー病治療薬は、すでに個人で入手し用いることができるわけです。

このように語ることでとうぜん、中には危険性を危惧される方もいらっしゃると思います。

そこで、運動はともかく、医薬の摂取だったり大量のサプリメント摂取に対して、

「もしなにかあったらどうするんだ」

というセリフを事情をよく知らない知人から言われたことがあります。

心配して言ってくれたのはわかるのですが、わたしには正直このセリフがよく理解できません。

なぜなら、なにもしなくても、そのなにかは必ず起きるからです。

批判を覚悟ではっきりと言いますが、そのなにかはあらゆる病気の中でもっとも悲惨で、死ぬよりも最悪なできごとです。

自分で行動をとらなければ、それは100%確実にやってきます。

そして、回復できるチャンスのある時間はどんどん過ぎていきます。

「なにもしなくて起こったことについては、どうするつもりなの?」

と、いつも問い返したい気持ちにかられます。

当然、だれも責任をとらないでしょう。だれも責任を取らなくてすむ代わりに、本人が尊厳と人格と生命を失い、家族が8年間人生を犠牲にするだけです。

責任を取らなくてすむなら、人がどうなろうと知ったことではありません。

一番安全なのは何も言わずに、こっそりブレデセンプロトコル(リコード法)を実行することです。

そうすれば責任感を感じずにすみ、誰からの批難を浴びることなく自分の母だけは助かります。

えてしてはわれわれは、どう考えても非合理的であると思われる選択を、責任を回避するために選んだりします。

ひょっとすると、多くの人にとって責任を追求される可能性を選択することのほうがが、家族の不幸よりも耐え難いことなのかもしれません。

(ここでいつも疑念に思うのですが、将来やってくる認知症の不幸がどういうものかということを多くの人が理解していないため、その責任回避することで犠牲となる将来が軽く見積もられていることです。)

だとすればそれはそれで、その方にとっては合理的な選択なのかもしれませんが、われわれの倫理観が狂っているのでは?と感じざるを得ません。

つまりわたしはバカなのだと思いますが、そういったゆがんだ責任要求社会の中で、ぎりぎりの攻防を続けたいと思っています。

伝統療法

少し食べ、少し飲み、早くから休むことだ。これは世界的な万能薬だ。

ドラクロア

東洋医学

ほんと偶然ではあったのですが、病気を発症する前に、素晴らしい東洋医学の先生と知り合いになる機会をもっていたため、自分の闘病生活の中で、様々な伝統療法・民間医療の世界も探索し試みてきました。

(思想的にというよりは、強い好奇心を原動力に、あれやこれや試していたといったほうが正しい気もします(汗))

マクロビオティック、玄米菜食、ハタヨガ、断食、西式健康法、東城百合子の自然療法、ビワの葉温灸、赤本、等々まあ、他にも多くのことをゲーム化してきました。

この時、やっかいな病気であることが幸いしたのですが、多くの炎症性マーカーなどの変動をつぶさにチェックしながら改善策を試行してきてたため、伝統療法の一定の有効性と限界について、感覚だけに頼るのではなく生化学的な知識をベースにした自分なりの理解というものが形成されていきました。

伝統療法の強み、弱み

伝統知、経験知というものは、分析的なスポットライト思考が見落としてしまう穴を、多く拾ってくれます。施術者の語る理屈だけに焦点をあてると、多くの代替療法はトンデモ療法となりかねませんが、後から生理学的な仕組みがわかってくると「なるほど」と思うことが少なくありません。

東洋医学はブラックボックスを包摂

施術者自身も、なぜその伝統療法が効果をもたらすのかということをメタ解釈で捉えており、その複合的な要素要因を生化学的な因果関係では捉えてないケース(または単に未解明)がほとんどです。

そこで研究者が、こういう仕組みではないかと機序を部分抽出して臨床試験が行われるため、「効果がない」「有意差がつかない」と判定されてしまっている伝統医療も多いのではないのか?と思っています。

ブレイクスルーが難しい伝統療法

また、伝統療法は経験の積み重ねで生まれた知恵でもあるため、経験で対処できない新しい未知の問題に対しては頭打ちをしてしまう傾向もあります。

母の場合、さほど実践していないため、アルツハイマー病に関する民間療法の有効性がどこまであるか、わかりませんが、そもそもアルツハイマーの場合、経験談で治ったという話を聞かないので、(これは西洋医学も同様ですが)民間療法に頼り切るというのは明らかにまずいと思います。

(認知症は東洋医学が得意とする自己免疫疾患、慢性病、不定愁訴とは事情が違います)

時間とお金のコストパフォーマンスを考える

ただ、伝統療法も最近は作用機序が解明されて見直されているものもあり、そういったものは単純にに効くか効かないかではなく、36のどの穴を埋めるのかということと、手間暇などのコストに対してどれだけ貢献してくれそうかということを、経験とエビデンスの両面から考え、取捨選択していくことは重要です。

※個人的な価値観も入ってきますが、お金持ちにしかできないような治療では意味がないと考えているため、コストをどう削減して多くの人に実行してもらえるようにするかという点については、ブログ作成の上で強くこだわっています。

臨床結果だけで判断しにくい東洋医学

民間療法の臨床研究は絶対数が少なく、プラシーボとの区別も容易ではないものが多いいため、わたし個人は、臨床結果よりも生化学的な作用機序と経験知、伝統知から推論して有効性を判断することが多いです。

※認められていないに等しい「併用療法」での承認テストが標準化し、誤解の多いプラセボ効果なども、もっと合理的に取り入れられれば、これまで多くの効果がないと決めつけられていた多くの民間療法が、生きを吹き返すだろうという予測もしています。(もちろん、過去の承認試験失敗薬も)

あいさつ 目次

1. これまでの経緯

・はじめまして

・認知症介護の悲惨さと闇

・新薬には期待できない

・認知症という病気のやっかいさ

・医学的根拠の問題

・進行抑制の本当の理由

・進行が穏やかに進む要因

・開発者ブレデセン博士の記事・経歴

・アミロイドβとは何のか

・アルツハイマー病 3つのタイプ

・書籍の紹介

・ブレデセンプロトコル(リコード法)の特徴

・アルツハイマー病 36の要因

・ブレデセンプロトコル(リコード法)への批判

・ブレデセンプロトコル(リコード法)の課題

・個人で行う治療の内在的な課題

・組み合わせ治療の原理的な実証不可能性

・アルハカ改善策

・日常の改善策

・すでにあるアルツハイマー病治療薬

・伝統療法について

・検査では本当の進行はわからない

・認知症トラップ

・回復を遠のかせる4つの障壁

・キーパーソンが鍵をにぎる

・注意事項とお願い

・理解は信頼を超越する

・ブレデセンプロトコルは最後の希望

・社会全体の現実逃避

・認知症先進国ジャパン

・実存的問題

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