6. 認知症回復への道

認知症回復への道

本当の進行は検査ではわからない

例えばMRI検査などで脳のスライス写真や、VSRADによる血流低下表示などを見ると、あたかも病状の進行具合がよく分かるように思われる人もいるかもしれません。

しかし、ああいった診断画像は、進行後の崩壊状況を見ているようなもので、アミロイドβの増加、オリゴマー集積、リン酸化タウの上昇など、病因の中核となっている因子の進行具合を直接測るものではありません。

※近年そういったものの測定も取り入れられるようになってきているそうですが、ブレデセン博士の仮説に従って代謝障害とシナプス恒常性の破壊がその本質原因と見なすなら、アミロイドβ脊髄内濃度でさえマクロスケールにおいては二次的な原因と見なせるかもしれません。

MRI画像などによる病理診断は、利息による借金が膨らんでしまった後の会社の倒産状況(萎縮、血流低下)を見ているようなものであり、MMSEや長谷川式などの問診にいたっては、会社倒産後の社会の崩壊の様子を見ているようなもので、

いずれにしても病気の実態を知るには手遅れすぎるわけです。

認知症の進行は鳩の足音で忍び寄る

嵐を惹き起こすものは、もっとも静かな言葉だ。

鳩の足で歩いてくる真実が、世界を左右する。

ニーチェ

しつこく繰り返しますが、認知症の本当の進行(神経学的な悪化)は体感ではほとんどわかりません。

認知症は発症の20年前から始まっていると言われていますが、その間、病気の進行に体感的にまったく気がつかなかったわけです。

裏返して考えるなら、代謝レベルでの根本的な改善があったとしても、体感ではまったくわからないとは言えないでしょうか?

なぜこのことをこれほど強調するかというと、体感的にも検査的にも実態に気づくことがむずかしい病気であるということが知られているにも関わらず、なぜだか治療の改善効果となると、個人では感覚を頼りにしようとし、創薬研究ではMMSEなどの臨床的な指標を絶対視するからです。

治療に取り組むさいに感覚をあてにせざるをえない点も多々あるのですが、測定がそもそも困難であるという側面をこの認知症という病気は多く抱えています。

そのため理解や知識に基づいて改善に取り組まなければならないということがいかに重要であるかということにも、できるだけ早い段階で気がついてもらいたいと思っています。

認知症トラップ

多くの人が、この障害の深刻度と体感的な深刻度の時間的ズレ、認知症トラップにはまってしまっています。

このズレが生じてしまう理由には、単に病気の性質だけではない、もっと内面的な、もしくは社会的な要因も絡んでいるように思います。

例えば、患者は医者がなにを言うかだけではなく、言い方や態度などの空気を敏感に読み取るということを医者はよく知っています。

単に職業的に無感情になっている医者もいますが、一般的には患者に不安を与えない伝え方というものを熟知しています。

手の打ちようのない病気ほど、医者はさらっとなんでもないことかのように話します。焦らすような話し方をしているときは、むしろ手術を受けさせれば治るなど、なんとかなる可能性があるからです。

宣告された患者の側も、知識が不足しているということがあるとは思いますが、ボケと死への恐怖を潜在的にかかえているため、そのまま医者と無意識的に協力しあってフタをしてしまっているのではないか、という気もしています。

「walking backwards to the cliff」の画像検索結果

治らないという思い込み

「アルツハイマー病は治らない」という医者や世間の常識が、もうあまりにも強すぎるため、社会全体の風潮が

「別に認知症になったっていいじゃないか」

となってきてもいないでしょうか。

苦しいことには耐え忍ぶ、というお国柄もあるように思います。

「みんないつかは死ぬのだから」

「みんなも苦しんでいるのだから」

これはこれで、アルツハイマー病が本当に治らない病気なのであれば、心情的にはそういう方向へ向かいたくなる気持ちは理解できます…

しかし、回復事例をいくつも目にしてきた自分としては

「まず治そうと試みるべきじゃないのか?順序として諦めるのはその後だろう」と叫びたくなるわけです。

誤解されがちなので一言を付け加えておきますが、これは多くの人に回復が見込める医学的理由と事例を元に語っているのであって「奇跡の事例を取り上げて希望を持つんだ」という精神論ではまったくないのです。

 取り組みが桁違いに難しくなる

もちろんすべてのアルツハイマー病患者が助かるというわけではありません。従来の回復不可能な不可逆とされていたラインが大幅に延長されたとはいえ、進行が進めば進むほど、回復の可能性は遠ざかっていきます。

感覚値ですが、未病 → MCI → アルツハイマー病初期 → 中期へと一つ右へ移行するたびに、同じ改善度に達するには、その前段階の5倍以上の労力が必要になる印象があります。

病気未発症の人が病気を防ぐために行う努力が仮に1ですむのだとすれば、軽度認知障害ではその5倍、アルツハイマー病初期では25倍、中期では125倍です!

借金の複利を放っておくと恐ろしいことになる、というのと似ているかもしれません。

銀行の借金と違うのは、認知症の場合、その利息が雪だるま式に増えていっていることが、目に見えないことです!(体感的にも、病院の診断であっても)

「time chasing」の画像検索結果

誰しも、自分の想像力の限界が、世界の限界だと誤解する。

ショーペンハウアー

進行とともにやってくる4つの逆風

病気が進行すると、病気そのものの治りにくさが増加するだけではありません。

本人の記憶力、学習能力はもちろんのこと、治療に取り組もうとするやる気も、脳の損傷により奪われていきます。

あまり知られていない事実ですが、認知症患者さんの無気力症状は、記憶力、学習能力の低下以外にも、線条体、淡蒼球など意欲に深く関与する脳部位が損傷を受けることで生じています。

まとめると

1. 認知症の神経学的な回復のむずかしさ

→ 回復までに必要な努力が桁違いに増加

2. 海馬の損傷による記憶力・学習能力の低下

→ ReCODEプロトコルを理解できない、手順を覚えられない。

3. 報酬系の障害によるモチベーション、意志力の低下

→ ReCODEプロトコルを実行しようという、やる気そのものがわかない。

4. サポート側が周辺症状への対応に迫られる

→ 家族、ヘルパーもReCODEプロトコル実行サポートができなくなる。

つまり病院での投薬や手術のような治療であれば、1だけが問題となってきますが、それに加えてReCODEプロトコルにおいてはプログラム治療に必要な、学習能力、やる気、家族ヘルパーの協力といった不可欠な要素も、認知症の進行とともに削り取られていきます!

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とにかく先手必勝

天気のいい日に嵐のことなど考えてもみないのは、人間共通の弱点である。

 マキャベリ

特に、初期の段階では症状が軽いためか、診断直後というのはあせってあれやこれや調べたりしますが、、数ヶ月もするとそういう状況にも慣れてしまって、そのまま受け身で日々を過ごしてしまいがちです。

これは自分も病気で致死性の病気の宣告を受けたことがあるので、そのうち慣れてしまう感覚がよくわかるのです。

どれほど深刻な病気であっても、その深刻性、緊張感を抱えたまま何ヶ月も過ごすことはできません。

これは精神的な慣れというよりも病気への不安や緊張状態は、身体的な負荷が高いため、自分を守るための生理学的な仕組みとして起こることだと思っています。

そして、この慣れてしまった偽りの平和が、まさしく認知症トラップにどっぷりハマっている状態です。

認知症トラップは自分が慣れ親しんだ世界の継続でもあるので、とても居心地がいいのです。もしくはその馴染んだ日常を変えたくないという心理でもあると思います。

特に高齢者ともなると、これまで築いてきた生活スタイル、ひいては自分の世界観や価値観を変えるのはとても困難だということもよくわかります。

しかし、そうなってくると、後はせいぜいテレビや雑誌で宣伝されていた(限りなく無意味に等しい)◯◯を飲んで終わり、といった感じで、進行後は為す術なく穴の底へ落ちていくのを見つめるしかありません。

困ってからの後手は致命的(99%の人は後手)

そして、認知症が進行してしまって、日常生活に深刻な症状が出始めてから何とかしようと思った頃に、なにか方法はないかと調べても、付け焼き刃の知識では打つ手がほとんどない、という状況に置かれてしまいます。

早期発見はとうぜん大事なのですが、アルツハイマー病と診断されてしまった後では、数年後の病状をイメージし、

取り組む余裕があり緊張感が解けないうちに” とにかく先手必勝で実行していくことが、核心的に重要です。!

「想像力が働かないところには、恐怖もおこらないものだ。」

コナン・ドイル

台風前の静けさ

大事なことなのでなん度も繰り返しますが、初期の軽い物忘れの状態、さほど深刻な問題がないようにみえる状態は、本当の悪化状態を表したものではありません。

それは台風の前の静けさです!

「calm before storm」の画像検索結果

ここでほとんどの人がアリセプト+αで過ごしてしまって、その後、抜け道のない真っ暗なトンネルに入り込んでいるように思います…

スピードでカバーする

…これにはアルハカ家の反省も含まれています。

アルハカ家でもこれまで先手で対処してきたことは間違いありません。しかし症状が安定して、「これだけやっているのだから大丈夫だろう」と油断して改善や工夫を怠って、その水面下でじわりと進行が進んでいたということを何度か経験してきたからです。(非常に微妙な進行のため、わかるのは早くても半年後です)

でも基本はやっぱり先手です。

あと後手に回ってしまった!と思った時の「察しの早さ」とその「対応スピード」でカバーしてきた感があります。

8年経過した今でも、この先手と後手の感覚をひやひやと感じながら、かろうじて低空飛行を続けております。

治療効果の判定は短期と長期を分ける

「短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな。」 日野啓三

認知症の治療を実行する上で

「比較的すぐに改善の兆しが見えるもの」と

「数年以上続けて改善が感じられるもの」

区分けができていることも重要です。

「logical 」の画像検索結果

どちらも重要ですが、理解に基づいた想像力と実行力が必要になってくるのは後者のほうです。

これらはなかなか人の声になって耳には届きません。

本人たちも気づいていない場合がほとんどだからです。

本当に身体に良いものとは、言ってみれば10年経過して振り返った時に

「そういえばここ10年大病をしていないな」といったようなものです。

多すぎる交絡因子

しかしその効果の及ぶ期間が長ければ長いほど、因果関係は見えにくくなります。10年ともなると直感どころか、臨床試験でさえも追うことができず、追跡調査や疫学調査、作用機序の推察で直線的な因果関係をもつもの以外は、おそらくこうだろうといったことしか言えません。

そして、ブレデセン博士が語るように、アルツハイマー病が36以上の要因が複雑に交絡することで発症し、しかもその発症要因の影響度が個体差によっても異なる疾患なのであれば、多重解析などを用いたとしても有意な因果関係を引き出すことは実質不可能です。

アルツハイマー病の原因がアルミニウムだ、ウイルスだ、水銀だとか、過去にいろんなことがいわれ続けてきた一方で、科学的、統計的には否定されてきたりもしました。

しかし、それらの分析はすべてアルツハイマー病発症リスクが個別的要因と複数の代謝障害によって生じる複雑性の疾患であるということが、そもそも前提となっていないわけです。

すべて情報源を利用する

これは「真に頼れるひとつの測定方法というものは存在しない」ということを意味します。

図式的に書くとこんな感じです。

直感 < 個人の試行錯誤 < 体験談 < 一般情報 < 専門家の意見 < 臨床研究 < 伝統療法 < 疫学 <メタアナリシス< 基礎研究(機序による推察)

大雑把な区分けですが、左ほど短期的傾向になり、右にいくほど長期的な傾向になります。

この図で言うと、多くの方がこの中の1~3つばかりを偏重して判断しているようにも見えます。

素朴にこれらすべての情報源を参照しそれらをつなげて利用するという道はないものなのでしょうか。

これは、実践性が思想よりも判断の上位にくるため、単純に統合医療やホリスティック医療とも言えません。

(統合やホリスティックという語義の抽象度が高いので、そういうくくり方は可能なのですが)

いずれにしても、アルハカ家では効果を最大化させるために、個々の方法について理屈と経験で詰めていくと同時に、相乗効果と取りこぼしを防ぐ意味もこめて非常に多くの治療方法を試みています。

病院でもらったアリセプトを飲むだけのような簡易さと比べるまでもなく、非常に複雑で手間がかかる方法です。

ローリスク・ミドルコスト・ハイリターン

生命をつなぐという、自己の人格を保つということは本来投資コストで考える問題ではないことは明白です。

しかし、費用対効果という点だけを取り出して考えたとしても、それがもたらしてくれる利益を真に理解するなら、中期の介護のほうがよっぽど労苦を伴うことも非常にはっきりとしています。

調べたり理解することには、たしかに一朝一夕でできることではありません。しかし自分がやってみて、実際のプログラムへ取り組み自体は、けして一般の方ができないようなほどの手間や努力ではないとも実感しています。

・個人で適正化

やはり大きな課題としては、これが正式なMENDプログラムに参加するのであればシステム化されているため、個人の努力が最小限に抑えられています。

しかし、現時点では、MENDプログラムはアメリカで始まったばかりなので、それらのプログラムが普及されるまでは、個人でそういった調整や適正化を補っていかなければなりません。

キーパーソンが鍵をにぎる

「家族は「重要な存在」とかではない。それは「すべて」なんだ。」

マイケル・J・フォックス

現実問題としては、認知機能に問題を抱えているご本人がプログラムのすべてを理解して実行することはできません。

実はアルハカ家でも似たような問題を抱えており、運動にしても行動療法などにしても、それを実行するのは患者本人であり、またわたしも含め家族にもそのサポートをしてもらわなければなりません。

関連画像

高齢期に入った認知症を患う母に「すべてを理解してくれ」とはさすがに言えません。

そこで、そばにいて理解する人間がどうやって本人に実行してもらうかという視点で考えていかなければ、片手落ちの改善策になってしまいます。

本人の納得も必要

ただ患者さん本人の努力も相当に必要であるため、大枠ではご本人も納得して実行するための理解はしておく必要がまずあります。

その上で協力者(ほとんどのケースでは、ご家族が該当者になられると思います。)の方が、プログラムの細かいところも把握して、主導していくことで成功率を高めていくことができます。

精神科医がこう言った 「人間に一番効く薬は「愛」です」

わたしは聞き返した 「もし「愛」が効いてくれなかった時は?」

彼は笑ってこう答えた 「摂取量を増やしてください。」

ここもハードルの高さのひとつにはなってきますが、本人と一緒になってプログラムの実行を支えていくキーパーソンの存在も成功率を大きく左右する要因となります。

※MMSEや長谷川式などは個人的に物差しの目が荒いと感じるため、効果を測る独自の指標づくりをおすすめします。

効率化や自動化の知恵についても、ブログで触れていきたいと思います。

この理解または「実行(コンプライアンス)のむずかしさ」

MENDプログラム最大の課題でもあり、

ここをどう克服するかが治療が成功するかどうかの分水嶺であることは間違いありません。

7 趣旨説明

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